積極財政の結果責任
減税の財源について問われると、経済が成長すれば税収が増えるので新たな財源はいらない、と答える政治家がいます。
それは、日本が過去何十年も積極財政を続けた挙句、経済成長することができなかった現実を、無視するような発言です。
国の財政は、現在世代の関心事だけではなく、未来世代の関心事でもあります。
もっとも、国の財政への関わり方では、両者に大きな違いがあります。
現在世代は自分たちで、国の財政を良くすることも、悪くすることもできます。
すなわち、現在世代は、今の国の財政について直接関わります。
一方、未来世代は、今の国の財政に一切関わることができず、現在世代が残した状態のまま国の財政を引き継ぐだけです。
そうであれば、現在世代が未来世代に対して、何らかの配慮をする必要があると考えるかもしれません。
あるいは、そうであれば、国の財政は現在世代が自由に決めて良いと考えるかもしれません。
2つの考え方には、国の財政について、現在世代が未来世代に対して何らかの責任を負うのかどうかに、大きな違いがあります。
そこで、国の財政を乗り物に例えて考えてみます。
すると、現在世代が運転手、未来世代は乗客になります。
そこでは、運転手は乗客の生命を預かっているのだから、運転手は乗客に対して責任を負っているといえることになります。
責任の基本は、自分が良いと思っておこなったことでも、その結果が悪いときは、それを償わなければならない、と考えることです。
冒頭の減税の財源についての問いは、いわば過去の積極財政の結果責任をどう償うのか、現在世代の責任の果たし方を問われているものになります。