成長と分配の誤解
岸田首相は、いまの日本の社会には成長と分配の好循環が必要だと説きます。
もちろん、経済を成長させて国民生活を豊かにしようとする政策に間違いはありません。
ただ、分配という言葉が多くの人に誤解を与えないかと心配になります。
持続しない循環
成長と分配の好循環とは、文字通り、経済を成長させることで、その果実(利益)を働く人や社会に分配して国全体の消費を拡大し、それによって、つぎの経済の成長へとつなげていく政策です。
これは、経済が成長しても、その果実(利益)が会社の内部留保や一部の富裕層に留まり、国全体の消費につながらなかった、過去の反省にもとづいています。
国は、従業員の賃上げを税制面で後押しするほか、看護や介護、保育の現場で働く人たちの収入を直接増やそうとしています。
ですが、賃金は一度上げると下げるのが難しくなるので、経営者には、将来の成長の見通しがなければ慎重にならざるをえない、という声が引き続き残ります。
かりに、国が積極財政を用いて一度は働く人への分配を増やしたとしても、それが国全体の消費につながり、さらにはつぎの経済の成長につながっていくのか、かなり疑問です。
松下幸之助のいう共存共栄
成長と分配の好循環と似た意味のことばに、共存共栄があります。
意味は、二つ以上のものが争うことなく、共に生き、共に栄えることです。
会社でいえば、顧客、取引先、従業員、銀行、株主、地域社会など、事業を通じて多くの相手と様々な関係を保つことです。
ただ、実際の共存共栄は容易に実現することができません。
経営の神様といわれる松下幸之助は、共存共栄は、自主的に経営をしっかりできる人といっしょに力を合わせて仕事をすることであって、自主責任経営があってこそ初めて、共存共栄は成り立つといいます。
互いにもたれあい、依存しあうのでは、いつか共倒れになります。
本当の共存共栄とは、自主独立する人どうしが、自分たちの世界を繁栄させるように協力しあうこと、そのものなのでしょう。
分配ではなく投資
経済を成長させて、その果実(利益)を広く社会に分配し、国全体の消費を増やすことが大事なことはわかります。
ただ、分配や消費だけでは経済を元に戻すことができても、持続的に成長させていくことは困難です。
やはり、持続的に経済を成長させていくには、日本の繁栄のために協力しあう自主独立した人や会社が必要です。
人であれば、常に新しい知識や能力を身につけるように努力し、会社であれば、常に新たな技術の研究や製品の開発に取り組んで、変化する世の中の様々な要求に応えられるようにしている、そういう人や会社がたくさん必要なのです。
いまの日本には、経済成長の果実(利益)を単に分配するのではなく、人や会社が自らの発展のために積極的に投資することを後押しする政策が必要です。